2014年11月06日

フリー!

久々の更新。
気付けば11月で酒造りも始まっている。今年もあっという間に終わって行くなぁ。

いつもの酒蔵ブルワリー3社合同の会議で、
やっぱりいつもながらクラフトビールの定義についての話題に。

このところ大手ビールもクラフトビールを名乗るようになって、
ますます定義化するなんて困難になりつつあるクラフトビール。
マーケティング的にこのキーワードをめぐって主導権をどう取るかが焦点になっている様相なわけです。
この争いが激化する一方で、消費者は蚊帳の外って感じもあってメーカーとの温度差があります。

コンサルタントの方はもともと大手スーパーのマーケティング責任者だから発想がマス向けなんだけど、
その割には嗜好品のニッチな思想もあって、メーカーの職人気質についても理解がある。

クラフトビールにはまだ、ワインのようなわかりやすいカテゴライズがない。
それを作るためにキュレーション的な作業が必要だってことなんだけど、
ビールの価値を再編集するなんてそれはそれは難しい作業なわけで。

そのためにも、ブルワーにはヴィジョンとロジックが必要。
うまいビールを追求する、人々にうまいビールを飲ませる、喜びを与えるという動機。
それを達成するための技術的な裏付け、自信。
ビールのプロに必要な要素。

肝心のクラフトビールとは、という問いの答えはなかなか出てこないけど、
自分的にしっくりくるキーワードが出てきた。

クラフトビール=自由

今の日本の酒造メーカーはやっぱり酒税法に縛られる発想になる。
うまいビールを追求するためにエンドウ豆タンパク質を原料にするわけじゃなく、
酒税法という枠があるから必要なもの。
大手ビールが、薄くて画一的な味のビールを作るのは大量生産という制限があるから。
クラフトビールは、うまいビールを追求する。
そういう意味で、リアルエールじゃなきゃいけないとか、伝統的手法じゃなきゃいけないとか、小規模でなきゃいけないとか、手作りじゃなきゃいけないとか、独立的じゃなきゃいけないとか、、、
そういう制限的な定義じゃないと個人的に思ったわけで、
クラフトビールとは自由に創られるうまいビール、というのがここ最近で一番しっくりくるものになった。
だから、安定的である必要もないという開き直りもある。
何をいれてもいいし、入れなくてもいい。濃かろうが薄かろうが、スピリッツを足そうがジュースで割ろうが、正道だ邪道だなんていうのがないのがイイ。歴史的に見ても、ビールってけっこう適当にそうやって発展してきたんじゃないかなって気がしません?

こないだ社長と個人的に食事に行って、色々相談とお願いを。
醸造設備の借り受けと免許申請に必要なもろもろのサポートを依頼。
免許申請には、かならず醸造の技術的な裏付けが必要。
ホームブルワーからだと普通はそこがネックになるけど、ブルワリーに技術指導や顧問になってもらうという書面でクリアできるらしい。お金積む人多いそうな。
醸造設備への投資は最低限に抑えたい。
借りれる設備があるなら、それを最大限活用して、それでできるシステムを考えたい。
マイクロってやっぱりDIYがあって始めて成り立つ規模なわけで、
メンテナンスやチューンナップも自分でできないといけない。

あとは販路のシナリオ作り。
酒造免許には、最低限の販売ノルマがあってビールで年間60KL、発泡酒で6KL。
ブルーパブは基本、発泡酒免許になるけど、
単純計算で毎日17Lビールを売る必要がある。
飲食スペースを隣接させるブルーパブは自店舗で販売するっていうシナリが書けるから、
席数と回転率、1日の来客予想から、一人当たりのビール販売量を想定して年間販売量を設定できる。
もしそれでクリアできないのであればもちろん外販することになる。
酒販店や飲食店にお願いして、年間何ℓ買い取りますという承諾書をもらって回る。
まぁこれには特に法的な拘束力が無いから、何でもいいような気はするけど、、、

そのうえで、資金の潤沢さや経営的に採算が合うのかまで見られて始めて申請が可能(許可が降りるわけじゃなく)になる。

お役所仕事だから対応が大変そうだなぁ。
来年、酒造りと春のイベントラッシュが落ち着けば平日動ける態勢を整えて、進めたいと思います。
そのためにも今年の酒造り頑張ろう。
去年は何もかも始めてで完成形がわからないままやってて疲れた。
今年はそれがわかって、自分の仕事の範囲も明確だから今のところやりやすい。
麹と酛担当というかなーり責任重大な役割だけど立派にこなしたいと思います。
posted by koji at 23:07| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | ビール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月31日

努力する人間になってはいけない

気づけば31歳になっております。皆さん祝ってくださってありがとうございました。

久々にちょっと分厚い本を読んでます。図書館で借りました。
ずいぶん前に予約してた本で、順番が回ってきたから借りに行ったんですが、なんでこの本を予約したのか、予約しようと思ったのか思い出せない。笑
読む動機がわからないまま読み始めるという謎の読書は久しぶりです。笑



タイトルは最近のキャッチーな感じですけど、書いてある内容はタイトル通りではない。(それも含めて最近の本ぽいけど。)

書き方は親しみやすい感じで書いてるけど、内容はちょとややこいい。ややこしいというか哲学の知識がないとわからん。のでけっこう読み飛ばしてますが、一部気になった章があったのでそこについて書きます。

以下、引用。
第八章 キャリア教育の諸問題について 学校教育におけるキャリア教育とは何か

接遇=コミュニケーション能力と専門教育
最近の接遇=コミュニケーション教育は間違っている。顧客に感想や需要を直接アンケートする。
本来の接遇は、顧客にわざわざ聞かないで済むための接遇であるべき。
こういった顧客との間違った接遇教育や、コミュニケーション「スキル」主義が、専門教育の衰退を加速させる。
大学や専門学校がキャリア教育やスキル教育に走るのは高等教育の自殺行為でしかない。そんな学校は早晩滅びる。コミュニケーション能力や即戦力を期待する三流企業とともに。

しかし、コミュニケーションなどの抽象的な教育目標は各学部の講座の内容=授業を全く変更する必要がないので、高等教育の学部の教授は反対しない。
教育の本体の改革に手をつけようとしない結果が、キャリア教育の充実という事態を招く。学校本来の教育力で就職させるのではなく、就職ネットワークやパーソナリティ指導で就職させているだけ。

実際、企業が若年者に求める就職基礎能力調査で、「コミュニケーション能力」を上げた企業は85%を超えており、トップの要求をなす。他に、「人間力」「社会人基礎力」「学士力」「生きる力」「創造力」など。。
しかし、これらごもっともな「○○力」も、ここまで言われると、これがどう「若年者就職基礎能力」なのかわけがわからない。これらの「力」能力は、若者に特有の課題ではない。若年者から上になれば自然に身につく能力でもなく、大人の自分たちでさえコントロールできない「コミュニケーション」をなぜ、若年者に特有な課題であるようにでっちあげるのか。だれもコミュニケーション能力を教育できない。

コミュニケーション能力教育の反対は、専門教育に他ならない。
専門的な知識とは、商品知識ではない。
美容師のメイクやカットの技術、獣医師の動物に関する幅広い知識、介護士の食事や入浴などの介護技術は、いずれも専門的な知識や技術に属する。
この種の専門性は、自動車セールスマン=営業にはない。セールスマンが接遇のスキルを会得するようにしては、それらの専門知識は獲得できない。

自動車のセールスマンは、車についてよく知っている人間が必ずしも車をよく売るとは限らない。
セールスマンが車を「知る」ことと、車の整備士が車を「知る」ということは全く別のもの。
言い換えるとこうだ。
セールスマンがどんなに車のことを知ることになっても、その経験を何年重ねても、だからといってセールスマンが車を作ったり整備したりすることはできない。
しかし、車を作ることがでできない、整備できないことはそれ自体、セールスの営業成績とは何の関係もない。

「商品知識」というのは、専門的な勉強と関係なく身につく知識を言う。
「営業の知識」は、限り無く「ユーザーの知識」に近い。専門的な勉強なしには、営業の仕事しかないのである。
セールスマンに「知識」が必要である度合は、その人の人間性、コミュニケーション力が必要という度合とほとんど変わらない。その意味でセールスマンにとって「知識」は単なる道具にすぎない。

それに比べて、美容師や獣医師、介護士などの知識は人間性と代替される道具ではない。それらは「専門的な知識」がないと対象に関われない領域を有する。知識は相対的な道具ではなく対象そのものに関わる。知識の「質」の違いだ。
しかし実際、調理分野と美容分野の両分野は、「技術」職とはみなされず、知識不要な「経験」職とみなされる。



引用はここまで。
特にどこが気になったかっていうのは、最後の「商品知識」と「専門知識」の違い。
これは、私自身がずっと探してた答えの一つでもあるように感じました。

チェーンのカフェで店長職をやっていた頃、コーヒーの商品知識を覚えてたくさん買っていただけるようになった。でも自分でコーヒーを育てたり焙煎したりすることはできない。エスプレッソはおいしく淹れられても、エスプレッソマシンは造れない。
結局自分のできることはコミュニケーションスキルの有無かそのレベルの話であって、他人に代替できるものでしかない。その頃は具体的には認識しなかったけど、そのモヤっとした不満がつのっていたのを覚えてる。

醸造をやろうと思ったのもそう。
普通に、ビールをメーカーやインポーターから買って売るだけだと、コーヒーのそれと変わらない。
転職の際に、ビールメーカーの人と話すうちでもよく聞かれた。コーヒーじゃだめなのか?
コーヒーの業界に入ろうと思ったのは、コーヒーを飲むのが好きだったし、商品知識の世界観が好きで、カフェ文化が新興だったからだ。
商材が、コーヒーと状況が似たビールになっても、確かに同じようなもんだろう。

だからこそ、特にブルーパブに限定したことは、専門性に起因する。
ビールの商品知識がいくらあっても、ビールは造れない。それが嫌だった。
転職する意味もない。

この専門性・専門知識に対する執着は、20代後半からより強くなって、おそらく大学に進学しなかったコンプレックスが影響してる。
自分は大学にいかなかった4年間で、社会人として大きくスキルを伸ばして同年代と差をつけたと思っていたけど、なんのことはない、得られたスキルは代替可能なコミュニケーション力や「経験」的スキルでしかない。

あー、、、こうやって書いていくと、より一層、自分を理解できる。笑

ブルーパブはきっとおもしろい。ただし、私が思うブルーパブは、造った人が、造ったビールを自分で注いで売る。ブルーパブは製造業じゃない。飲食業であり、サービス業。それも重要。
営業の商品知識やコミュニケーション力を有する人間が、専門知識も有する。
別に多くの業界では珍しいことではないと思うけど、このビールの業界ではまだあまり見かけない。これが面白いと思う理由。


この本は全般を通して、けっこう興味深い内容ではあるけど、
今の自分の知識じゃ到底理解しきれないし、今はそういうタイミングでもなさそうだ。
またゆっくり読みたいと思う本。

今日は久々に土曜日を完全にオフにしてもらって、リフレッシュしたと思う。
専門知識を手に入れる時間がもっと必要か。
posted by koji at 00:55| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リーディング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

クラフトビールとは何か

かなり大きな題目だなぁ。
ずいぶん前に書きかけた記事、公開するのを忘れてたっぽい。笑
3月に書いてるわ。一応アップしとこう。

クラフトビールってビールの一ジャンルになるのかな。
それとも日本人のいう「ビール」とは違うものを目指そうとしているのか。
これ書いたとき(今でもそう変わってないが)今のクラフトビールのあり方にかなり悲観的。
改めて読むとちょっと喧嘩売りすぎな気もする。笑





関西の酒蔵ブルワリー三社合同で行われる協議に参加してきた。
うち以外はかなり大きなメーカーで、コンサルタントの先生にアドバイスをもらいながら進める話し合いでなかなか考えさせられる話題に。

まず、クラフトビールとは何か?

これ、意外と答えられません。
業界的な認識でいえば、国内でいえば大手四社(オリオンいれて五社)以外のビール。
でもこれって全然、クラフトビールそのものを表してない。
小規模であればそれだけでクラフトビールなのか?

そもそも、大手以外のビールを「地ビール」として打ち出してきた歴史があって、地ビールのイメージが悪くなってきたから地ビールを捨ててクラフトビールとして再出発したわけです。
クラフトビールが流行ってると思ってるのはその業界にいる人と、全体のシェアのうちの1%でしかないファンの人たち。
残りの99%の人からすればクラフトビールと地ビールを分ける基準はかなり曖昧で、だかこそ身内だけでしか商売になってない。

一応アメリカのクラフトビールの基準は、小規模・独立的・伝統的製法、というこれまた日本には合致しなさそうな基準です。

結局クラフトビールってなんなんだ。流行ってる流行ってるっていってるものなのに、誰もうまく説明できない。ビアパブ関係者やメーカーでさえはっきり定義できないものを、どうやって一般の人に説明して理解してもらえるだろう。
ここが正念場な気がします。

大手ビール=ピルスナー
それ以外のビール=100種類を超えるスタイルのビールのすべて

こういう始め方をすると、説明しようったって無理だ。なんか根本的な誤りを犯してる気がする。
クラフトビールを、大手ビールと違うものって区切っちゃうからややこしくなるんじゃないだろうか。
日本のビール=大手ピルスナーっていう前提があるから、クラフトビールは日本のビールじゃないような感じになる。ビールっていう商品の中にピルスナーもクラフトビールもあるべき。

クラフトビールはうまい。日本人が今まで知らない味わいで、それが強みだと業界の人たちは思ってる。
じゃあなんでこんなにも広がらないんだろう。
クラフトビールには、小難しさや分かりにくさがある。
メーカーやビアパブは、大手ビールのピルスナーと何がどう違うのか、違うから何がすごいのか、うまいのか、それをお客さんに説明して教育するところからやらなきゃいけないと思ってる。と思う。
そんなのは、お客さんからしたら迷惑な話で、だからいつまでたっても広がらない。
クラフトビールって単語がもっと単純明快で魅力的に感じられるイメージを持たないと、いつまでたってもシェアは1%にとどまりそうだ。

エールという言葉でさえ一般的とはいえない。一般的にも感覚的にわかりやすい体系化されたビールのスタイル別のカテゴリーさえないように思う。実際、ブルワー同士で集まって話ても、100%直感的に理解できるカテゴライズってできなかった。

一般的な官僚は、クラフトビールは成長産業じゃないと思ってる。そりゃそうだ。20年やってもまったく伸びてない。
だから、税制を優遇したり緩和して守ったところで大した意味はないと思ってる。
きっとビールの税制は変わらないだろう。
日本のクラフトビール業界は全然明るいわけじゃない。



ここまで書きかけだったわけですが、どこにオチを持って行きたかったのか覚えてない。笑
たぶん、だからこそブルーパブがおもしろいんじゃないか、
という話になる予定だと思うんだけど。


最近は思うのは、ビールの作り方だけ勉強してもだめなんじゃないかということ。
コストを抑えて自分の思うビールを作るための、場所・設備の設計やマネジメントの能力も必要だろうと。
仕込みと発酵管理において、どの行程にこだわるべきで、どこに投資しないと品質が保てないのか、今の知識じゃまだわからない。
これは経験も必要だと思うけど、多くのブルワーは一つの醸造所、1つの設備に慣熟してそれに合わせて製品を造るから、設備が変わるとまたそれに合わせて工程のポイントをさぐっていかなきゃいけない。と思う。ここはセンスも問われる気がするなぁ。

というわけで最近は、具体的に醸造設備をどうやって構築するか、を考えてます。
会社の倉庫にゴロゴロ転がってる小型のタンクやら仕込釜を想定に入れて、それでやるならどういう設計にするのがベターか、というシュミレーション。
釜やタンクは、必要ってわかりやすいんだけど、
考えていくと、マッシュやウォートの移送はどうしよう、とか、冷却はどういう方式にすべきか、とか、発酵で温度管理はどうするか、貯酒とパッケージングとサービングをどうやってまとめようか、とか。
サニタリーやメンテナンスまで考えたらもっと複雑になりそうだ。うーん。
飲食スペースまで考えて一緒に構築していかないと、無駄も出てきそうだし、、、これがビジネスモデルとしてまとめられたらめっちゃおもしろいと思うんだけどな!
という妄想の日々です。
posted by koji at 23:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月04日

ずいぶん更新してない! 最近の動向

4月の更新から気づけば6月。ずいぶんと思ったけど最近の頻度でいえばそうでもないかも。

けやきひろばビール祭、出店終了しました。
無事、大怪我することもなく終了しました。よかった。
ビールはまぁまぁ手応えよく。合同出店でしたが、他より出たと思う。
まぁ食博での悲劇が再び、ってならんかっただけ大きな進歩だ。

でも、けやきは勉強なりましたね。
ビールイベントだったけど、一般のお客さんが多かったマニアじゃなくて。
マニアというかビアファンや関係者も多かったのは事実ですが。
さいたまの地元イベントとして、定着しつつあるようです。
会場のスーパーアリーナが主催だから無茶できるってのがかなり大きい気もしますが。

駒沢公園の肉フェスの企画会社も、ブルワー挨拶回りしてたみたい。
なんと関西でもやるようなこと言ってたな。というわけでコンタクトとってみる。

ビール単体のイベントだけじゃやっぱり間口せまい。フード&ビールのイベントがよし。

酒造期終わってますますビールづけだけど、もっと勉強する時間が必要だなぁ。。。
専門書とか読む機会が増えましたが、理解が深まってるのは感じる。

このブログでも、前に書いた専門書の抜粋を読み返すと、そんときはうっすらしかわかってなかったことが、よくわかるようになってる気がする。

けど実践的ではない。

最近思うのは、もっと味覚の閾値を小さくしないといけない。ということ。
特にオフフレーバーの勉強が必要。
じゃないと、醸造のコントロールができない気がする。
ダイアセチルを感じるから、発酵温度を下げようとか、酵母の量を増やそうとか、エアレーションが少ないんじゃないかとか。たぶんそうやっていかないとビールが旨くなっていかない。
ビールのレシピはけっこう入手できるけど、その分量で作って安定しておいしくなるわけじゃない、ということがようやくわかってきた。これはホームブリューで感じるところ。

ビアパブで完成品だけ売るのって、このビールはこういう味のビールなんだ、って覚えちゃうから、どういう仕込みでそういう味になってるのか、まで考えたりできない。


あとは、モルトやホップ、酵母や副原料の種類や特徴に詳しくなること。
でもこれは、いくら世界中のホップに詳しくても、サプライヤーがそれを取り扱ってなければ意味がない。もっというと、サプライヤーに取り扱いがあっても、小規模ブルワリーに貴重なホップを回してくれるとは限らない。結局、コネクションが必要。
それありきで、ビールの設計が可能とわかった。


あと、設備。低予算で考えてるから、基本的にはDIYが必要だし、中古の機材でもメンテ含めて自分で改善してかないといけないだろうと。サービングの設備も含めて、もっと実地で経験が必要。


そういえば、先月は税務署も行ってみて、酒造免許取得についてあれこれ聞いてみた。
やっぱり申請から半年はかかるだろうと。
そして、立地が決まってからじゃないと何も進まないということ。
経験の有無は、企業で醸造に従事していた証明ができればいいらしい。
結局は、事業として採算が合うかどうかが重要。

で、これでいい話をきけたのは、京都の小規模ブルワリーの責任者の方の話。
免許申請では、フルマッシング設備ではなくて、モルトエキスだけで造る予定で申請する。
そうすれば基本は寸胴一個と発酵タンクだけで事足りるから、初期投資が抑えられて事業性がよくなる計画書が提出できる。免許取得してから、フルマッシング仕込みへの変更届を出す、という裏技。


新規のブルーパブがちょこちょこ増えつつある。関東方面だけど。
パッとするところはあんまりないけど、、、
老舗のビアパブがブルワリー手がけたり、
ファントムブルワリーも増えてるなぁ。
業界的な盛り上がりはあるものの、小規模=そんなうまくない、みたいな図式もできつつあるなぁ。。。
というか、飲食店としてのクオリティの低さか。最近あんまりだけど、飲食ビジネスの勉強もまたしとかないと。


というわけで6月はビールの設計をやってみる。
7月あたりから製造計画もやらせてもらう予定!
がんばります。
posted by koji at 23:44| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ジョブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月22日

世界の貧困

こんなに更新してないのは久々かもしれない。
冬ごもりしてから、更新できそうでできてなかった。



久々にこの手の本を読む。
けど、この本は世界的な話ではなくて、アメリカでの話。
いまだに経済指標として主役のGDP。Gross Domestic Product。国内総生産。
世界が、全世帯中流階級を目指して経済成長していた時代には、この指標は国民の生活の質を測るのに有効だった。
今では貧富の差は二極化が進んで、上位1%の人間がGDPを押し上げ、下位の人間はより貧困に陥っているが、それは判断できない指標となっている。

GDPは、環境汚染が進むと上がる。犯罪や事故が増えても上がるし、離婚や自殺、病気が増えても上がる。まして戦争はGDPをさらに押し上げる。

逆に環境の保全に由来する自然サービスはGDPの数値には含まれず、人々が健康でいる価値、子供達の教育、人々の質的な幸福もGDPに影響しない。


この手の本と思って読んだ最近の本、第2弾。



この本は逆に世界規模での、発展途上国の貧困層の実態について、
現地での精緻な実証実験を幾度となく繰り返して書かれている。
なんとなくおぼろげに想像していた世界の人々について、本人たちの立場から貧困の問題に対する答えを見つけてるのが印象的。

自分の環境がいかに恵まれているのか認識できる箇所抜粋。

P102
私たちは次の食事にどうやってありつければよいか心配する必要はない。
言い換えれば、私たちは自分たちの限られた自制心と決断力をあてにする必要はほとんどないということ。
自分の健康についての正しい決断を責任をもって下せるほどに賢く、忍耐強く、知識のある人など誰もいないということを認識すべき。
豊かな国に住む者は目に見えない後押しに囲まれて生活している。
健康に対する政策、予防的ケア、公衆衛生に対する投資として補助金の多くはすぐに元が取れます。
病気と死亡率が下がり、賃金が増えるためです。
安価で、人々が必要としている薬を変えるようにする、必要のない薬を入手できないように制限して、高まりつつある薬物耐性を予防する。

過干渉かもしれないが、干渉しすぎることの危険性や自分自身のの危険性の責任をもつのはソファにふんぞり返って説くにはお気楽すぎる。
豊かな国こそ、絶え間無い過干渉の受益者ではないか。

情報の非対称。行動経済学の勉強が必要。


この手の本久々。でも読み応えもあって、結論も進歩的。
良い本でした。
posted by koji at 01:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リーディング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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