2014年04月22日

世界の貧困

こんなに更新してないのは久々かもしれない。
冬ごもりしてから、更新できそうでできてなかった。



久々にこの手の本を読む。
けど、この本は世界的な話ではなくて、アメリカでの話。
いまだに経済指標として主役のGDP。Gross Domestic Product。国内総生産。
世界が、全世帯中流階級を目指して経済成長していた時代には、この指標は国民の生活の質を測るのに有効だった。
今では貧富の差は二極化が進んで、上位1%の人間がGDPを押し上げ、下位の人間はより貧困に陥っているが、それは判断できない指標となっている。

GDPは、環境汚染が進むと上がる。犯罪や事故が増えても上がるし、離婚や自殺、病気が増えても上がる。まして戦争はGDPをさらに押し上げる。

逆に環境の保全に由来する自然サービスはGDPの数値には含まれず、人々が健康でいる価値、子供達の教育、人々の質的な幸福もGDPに影響しない。


この手の本と思って読んだ最近の本、第2弾。



この本は逆に世界規模での、発展途上国の貧困層の実態について、
現地での精緻な実証実験を幾度となく繰り返して書かれている。
なんとなくおぼろげに想像していた世界の人々について、本人たちの立場から貧困の問題に対する答えを見つけてるのが印象的。

自分の環境がいかに恵まれているのか認識できる箇所抜粋。

P102
私たちは次の食事にどうやってありつければよいか心配する必要はない。
言い換えれば、私たちは自分たちの限られた自制心と決断力をあてにする必要はほとんどないということ。
自分の健康についての正しい決断を責任をもって下せるほどに賢く、忍耐強く、知識のある人など誰もいないということを認識すべき。
豊かな国に住む者は目に見えない後押しに囲まれて生活している。
健康に対する政策、予防的ケア、公衆衛生に対する投資として補助金の多くはすぐに元が取れます。
病気と死亡率が下がり、賃金が増えるためです。
安価で、人々が必要としている薬を変えるようにする、必要のない薬を入手できないように制限して、高まりつつある薬物耐性を予防する。

過干渉かもしれないが、干渉しすぎることの危険性や自分自身のの危険性の責任をもつのはソファにふんぞり返って説くにはお気楽すぎる。
豊かな国こそ、絶え間無い過干渉の受益者ではないか。

情報の非対称。行動経済学の勉強が必要。


この手の本久々。でも読み応えもあって、結論も進歩的。
良い本でした。
posted by koji at 01:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リーディング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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