2012年08月20日

つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方

1か月以上も投稿してませんが夏休みを満喫しております。
母方の田舎へご先祖様の墓参りにいき、山奥で親族集合の合宿。
先祖の供養とバーベキューと酒盛りと川遊びと山道ランニングで心身ともにリフレッシュ。

ご先祖様への感謝ってこの数年で少しばかり感じられるようになってきました。
自分が人の親になったことも少なからず影響していると思います。
人間一人の人生をスタートさせられるってすごいことだなぁと思うと同時に、
自分もそうやってスタートさせてもらったんだなぁ両親に感謝だなぁと思って、
そしてその両親もそのまた両親にスタートさせてもらったんだなぁつがなりってすごいなぁ。ということなんです。七つの習慣の相乗効果の影響もありますが。

そんで友人の坊さんとも最近コミュニケーションを取ったり、
霊山に登って仏の道に仮入門してみたりして色々自分の思想も変化を見せております。
一生涯無宗教無神論って感じでしたが、別にそこまでそれに執着するこたない。
きっと今まで神にも仏にも必要を感じないほど自分は未熟だったんだろうと。神仏にすがらないといけないほど自分は落ちぶれていない、なんて思ってたのかもしれません。今も別に救われたいわけではないんですけどね。
宗教も自分の成長を促してくれる触媒になるんだなぁと理解できるようになった。なるほど幾千の年月を越えて残る思想には学ぶことはたくさんあるものだ。
って何の話やって感じなんですけど、つながりって大事ですよね。

そして神とも仏とも別に何の関連もないこの本について書きます。




久々に自分的におもしろい本でした。丸々鵜呑みにするって感じでもないんですが。
フェイスブックを使い始めて1年以上なりますが、
SNSがここまで生活に入り込んでくるっていうのはなかなか新鮮でした。
ですが、その反面、色々違和感もあって、友達の数が増えれば増えるほど違和感は強くなっていきます。
その違和感がなんなのか、この本を読んで理解が広がりました。
うんうんそうやなーって箇所が比較的多かった。


この本では数々の通信機能を持つデジタル機器全般をスクリーンと称しています。
現代では、スマートフォンやタブレットがスクリーンとしては一般的。この10年での世界的に普及してます。
スクリーンは人々同士のつながりを広げてくれる素晴らしいテクノロジー。

だけど、つながればつながるほど人々は忙しくなっていく。
誰しも、内向きと外向きの両方の精神世界を持っているが、つながりが増えるほど外向きの比重が大きくなって、ものの考え方や暮らし方を決める際に外の世界に頼るようになってきた。

テクノロジーは素晴らしい。つながればつながるほど望ましい。
という無意識的な価値観によって、スクリーンと向き合う時間を最大化している現代の“つながり至上主義”。つながりは善、つながらないは悪。

しかし、こうした暮らし方によって色々な問題が生じてきている。という気づきが広がりつつある。
つねにつながっていることによって、外的な刺激・情報に反応するだけでとてもとても忙しくなった。
また、知りたいこと、必要な答えはググれば教えてもらえるようになった。
このような環境で人は「奥深さ」を失っている。
自己に問い掛け、考えを掘り下げ、潜在的なアイデアや使命に魅入られる感覚。
心を鷲づかみにされる。経験に引き込まれる。
自分は他人から離れて独り立ちした、という自覚は必要だ。
「孤立」は一人であることの苦痛を、「孤独」はその歓喜を表す。

テクノロジーや数々のスクリーンのツールは生産性を高めるためのものであるはずだが、
つながりすぎ(=ハイパーつながり)によって逆に生産性を下げている。
常に並行して複数とつながっているために、一つのことに対して集中し続けるのが困難になり、一度中断した作業に戻るために、想像以上のロスが発生している。
クラウド(集団)の英知も、個々人の経験には何の影響も及ぼさない。

他人とのつながり、という本来的に好ましいものが欠ける状態によい印象はない。
手を伸ばせばその先に世界全体があるなら、手を伸ばす“べきだ”という気持ちが心のどこかに芽生える。
また、デジタル化の流れに乗り続けなければ、周りから取り残されるという感覚。
世界の産業界、メディア界が、生き残りのためにこの流れを一層加速させる。
モノ・サービス・アイデアをできるだけ多くの人に売って利益を得るのが目的であり、
競争力の最たるものはテクノロジーである以上、ビジネス上でのつながりはいくら多くても困らない。

しかし、物事はそう単純ではない。ハイパーつながりによる問題。
@人々の内面、心理面、感情面に動揺をもたらし、様々な症状を発症している。
Aスクリーンを眺める時間が増え、家族や友人と向き合う時間が減ったために人間関係が悪化している。
B企業などの組織で従業員の気が散り、業績に悪影響を及ぼしている。

スクリーンに向かってばかりいると失われるものこそ、深みである。
スクリーンは数々の素晴らしい仕事をこなしてくれるが、そのスクリーンをもってしても生み出せない体験があり、そのような体験こそが何より貴重である。
つながりを離れた時の経験と、つながりの中の経験の相互作用によってより豊かな人生を得られるはずである。

こういった新しいテクノロジーの変化によって、
忙しい、情報が多すぎる、どうにも落ち着かない、といった問題と、
人類は実は何千年も前から戦っている。
歴史上の7つの時期のテクノロジーの変化をめぐる狂騒と、
それぞれのテクノロジーについて深く考え抜いたその時代の賢人を紹介する。
(賢人の紹介はずいぶん長くなったので追記にて)



ちょっとまとめようと思ったらどうもまとまりにくいんですけど、
言いたいことはそんなに難しいこっちゃないんですよ。
過度につながり続ける状態はムダと混乱をもたらし、
つながらない状態を選択することで自分に深みをもたらすゆとりや余裕を意識的に作ろう。
ってことなんですなぁ。
そんなことはわかってるよって思うかもしれませんけど、
わかっててもフェイスブック中毒になっちゃってるインテリ層の人はたくさんいて、
なんとなくつながってる状態が善ってやっぱり思ってるから意外とハマっちゃってる。

もちろんつながりが全く不要なわけではなくて、
全てのつながりが必要ではない、ということをもっと理解すればいいということ。
フェイスブックの友達の中にも、この人の近況別にそんな知りたくないなーって人いる。笑

とはいえ私自身はこの10年間、積極的にデジタルツールを導入して、
つながり続けようと努力してきたものであります。
人とのつながりもプライベート、仕事の両方で大切なものと思っている部分も大きいし、つながり至上主義者と言えると思う。
たまたま仕事的に、スクリーンに向かい続ける仕事ではなかったから弊害が少なかったのかもしれない。
それでも、この種の違和感(つながりすぎによる慌ただしさや不安感)を感じることもあって、この本はなかなか自分的にはツボだったのだ。
(正直、ブログでまとめるのが難しかった。内面世界への哲学という解決が抽象的だった。)

現代の世の中は、情報を活用する、利用することが何でも競争上有利に働く。
だからみんな自分で考えるよりも短時間ですむ、共有された情報を検索する方法を安易に選ぶ。
なるほど確かにこれは利口なように思われるが、自分で何を考え抜く、生み出すという活動を停止させてしまっている。
クラウドによって、つながりの集合知の可能性に私個人は期待するけれども、ただ開かれた世間にアクセスするだけでは集合知は生まれない。

24時間つながり続けることで、世界は狭く、加速度的にめまぐるしく発展し続けるようになった。
そこには、つながりを活かして自らをより生産的で高次へと導く人間と、
つながりに依存して考えることをやめたメディアの奴隷となった人間との、格差社会がある。

この著書は、格差社会にまで言及はしてないけど、個人個人の豊かさへの提案は、長く見て格差社会を少しでも改善するような提案に思える。
ちょっと単純化すれば、今までつながり続ける人たちがつながらない時間を作るってことは、テクノロジー的につながっていない人たち(後進国や発展途上国でも貧困層)にとっての不利(経済的な)が少しでも減るってことだと思う。

でも、このつながらない状態を一人で選択するっていうのは勇気がいるんじゃなかろうか。
結局は、豊かさの定義という哲学的な問題をはらむから。難しいのだ。


書けば書くほど長くなってきたのでこの辺で切りましょう。
「ウェブ進化論」を読んだ時には、こんな問題はまったく取り上げられてなくて、世間は過度のつながりに未知の恐怖を感じて否定的だったから。そう、だから人間はこうやって進化しているんだなぁ。


そして、じゃあ自分はどうしようか?という問いに戻るのです。
 
  
以下、賢人から学ぶ過去のテクノロジーとつながり方。

@プラトン。街中から抜け出して距離を取る。
対話を通じたつながりが主流だったソクラテスの時代に、「文字」というテクノロジーが発生する。
文字による書き言葉は新たなテクノロジーだったが、対話というツールが主流でまだ浸透していなかった。
対話を求める人々が多く、街中が情報過多な混乱状態であったが、そこから抜け出すために郊外へと趣き、静寂な空間で思案することで深みを得られた。その際には、書き留めた文字により考えを記録して移動できるようになった。
慌ただしい世の中で深みと充足を得るには、まずは人混みから離れることだ。

Aルキウス・アンナエウス・セネカの内面世界の探求
物理的に人混みから離れられなくとも、自分の考えや相手の人に意識を集中して、それ以外を一切遮断する。
文字が浸透し、書き言葉が使われるようになった時代では写本による読書で情報過多に陥っていた。
セネカはこの時代で、同じく書き言葉というツールを使って手紙をしたため、それに意識を集中することで慌ただしい世間からいくらか距離を取ることができた。

Bヨハネス・グーテンベルクがもたらした黙読文化
手作業による写本は長い間、本の流通に大きな制限となっており、読書は音読によって多くの人が一度に共有するコミュニケーションツールであった。
グーテンベルクの活版印刷のテクノロジーによって本の流通が広がっていった。
これにより、本を黙読する、という文化が生まれた。本を黙読する経験は、内省へと人々を駆り立てた。

Cハムレットの手帳。手書きによる意識付け。
印刷のテクノロジーが急速に広がると、世間はより一層、情報過多となっていった。
と同時に、本がコモディティ化すればするほど、人々は書き言葉によるコミュニケーションを身に付けようという姿勢を強めた。
印刷というテクノロジーの時代に、旧来のテクノロジーであった書き言葉が情報を整理するのに役立った。
ハムレットのシェイクスピアに登場する手帳は、ハムレットが情報を整理し、手書きによる内省をするために大きな役割を果たした。

Dベンジャミン・フランクリンの内面的に前向きな儀式
印刷テクノロジーの普及は、思想や哲学、とりわけ人間の自由について革命的な思想を広げた。
フランクリンは、真に自由であるには、外からの抑圧だけでなく、内なる抑圧が必要で、最大限の成果をあげる妨げになっている習慣を克服しなくてはならないと気付いた。
つながり至上主義の現代において、様々な問題を解決するには、まずは、絶えずつながっていたいという衝動を抑える必要があり、そのための抑圧の効果を前向きに信じる必要があった。
フランクリンも情報過多の時代において、つながりすぎを抑圧するための13項目の美徳を書き出し、行動指針として信じ実行するよう努めた。

Eヘンリー・デービッド・ソローの内面を大切にするための場所、自宅。
電信と鉄道という新たなテクノロジーが、世界中のつながりを物理的に一層広げ、世界を狭くした。
そのために慌ただしくなって混乱する世間と少しばかり距離を保つために、
自宅を郊外に置くことで、内面をシンプルで穏やかに保つための場所と定めた。

Fマーシャル・マクルーハン。地球村から自分村へ。
慌ただしいデジタル世界においてさえ、一人ひとりが自分の経験の質を調整できる。
慌ただしい生活を観察して、そこから逃れるための自分なりの方法を工夫する。
デジタルツールは確かに世界中とつながることができるが、はたして世界中とつながることだけが深みに到達できるか考えよう。
より身近でアナログな方法でも可能ならそれを使えばよい。
posted by koji at 22:41| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | リーディング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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