2019年09月05日

ポストキャピタリズムのビール

前回ポストに引き続き。

ポストキャピタリズムの世界でのビールとは

限界費用ゼロに近づいていく
ブルワリー設備自体の建設、設置が、機械化によって安くなる。
AIやオートメーションによる農業の発展で、
麦芽やホップの栽培も簡単に安くできるようになって原料コストが下がっていく。
仕込作業や発酵管理も、プログラム化、オートメーション、IoTによってオートメーションされて人の手がいらなくなる。
(これは一部はすでにそうなってる)
自動運転技術で、輸送コストも大きく下がる。
なんやかんやでとっても安くなる。
(酒税はどうなる?)

レシピやノウハウのオープンソース化。
情報の民主化によって、クオリティの進化が加速する。
情報技術の発展によって水平展開されることで世界中でどこでも美味しいビールに出会うことができる。

プロパガンダの消滅
倫理的な正しさが選択される世界では、大手ビールメーカーの寡占市場は規制される。
情報の非対称性もなくなるため、ピルスナーしか飲めない市場から民衆は解放される。

コモンとしてのビール
資本としてのビールではなく、資源としてのビール?
民主的に管理、発展されるビールは、消費のために生産されるわけではない。
嗜好品として所有、囲い込みするために存在する必要がなくなる。
人間にとって必要なビールとはなにか?
ビールを消費することだけが目的でなくなる。
ビールを作り、飲むことが幸福や人生の充足になるような体験に変わっていく。

倫理的に正しいかどうか
ビールが生産されて消費されるまでに、どれだけ自然環境に負荷があるのかが問われる。
フードマイレージや大量生産大量消費の見直し、労働環境の改善。

これらの上で、
働くとはなにか?が問われるようになる。
人々の能力や才能を最大限活かしているか?
ビール製造のような単純作業の多い仕事は、ともすればブルシットジョブ(=クソくだらない仕事)になりはしないか?
どのような仕事(という概念があれば?)があればポストキャピタリズムで人々はより発展することができるのか?
資本主義が機能しなくなったあと、市場の競争はなくなる、貨幣さえないかもしれないという前提で、民主化されたビールはどんなビールになるんだろう。

なんかちょっとわからんくなってきた。笑
まとめます。

倫理的で持続可能な社会。(SDGsが現在の資本主義を前提なら難しそうだが?)
技術の発展で色んな仕事が淘汰される中で、
衣食住に関わる大量生産大量消費という資本主義は形を変えざるを得ないと思う。
ビール製造も、工業的に発展する限界がきっとどこかにある。
世界中のどこにいてもなんでもすぐに手に入るという環境では、
モノ自体にどれだけの価値があるんだろう。代替品もすぐに手に入る。
ブリューパブも技術によって形は変わる。
逆説的に、自分のやっているローテクブリューパブがどんな役割になるのか?
ビールというモノを、パブを触媒にして非物質的生産に化学変化させる。
フラット化で世界はとんでもなく狭くなったけど、
実践的倫理はローカルからしか広がらない気がする。社会運動だってきっとそうだろう。
リアルで人が集まって、コミュニケーションが生まれる非物質的生産の場。
その場が面で広がるようなブリューパブ。
そういうのがやりたい。

さて、今からフレッシュホップビール仕込!
今日もおもしろくなりそう。

posted by koji at 18:35| 大阪 ☁| Comment(0) | フード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月04日

未来への大分岐に資本主義はどうなるのか というか自分はどうするのか?

気付けば9月になって、誕生日も過ぎ去りました。
36歳年男。このブログも276ポスト、15年目となりました。

で今回はリーディング。



いやーぶっちゃげ良かった。色々自分的にツボの多い内容でした。
このブログで今まで取り上げてきた本のジャンルをご存じでしたらわかってもらえるかと思いますが。

なんか気になったところ引用しまくってたらネタバレみたいになってしまったので、
細かい内容は追記部分に記載します。気になる人は追記開いてください。

このブログ始めてから色んな本読むようになったけど、
30歳すぎくらいから読んでるのは世界の貧困問題とか格差問題、レントシーキングの内容が多い。

去年、2回目のマンハッタンに行って、タイムズスクエアを訪れた時の気が狂ってる感を思い出します。
ハイパー消費社会のテーマパークみたいな交差点が存在すること自体に異常を感じたんやけど、
それが当然のように存在するって、資本主義の終わりってことなんやなって、この本を読んで腑に落ちました。

2006年にウェブ進化論やザ・サーチを読んだときの気持ちが、この本でも感じられるけど、たった十数年でこうも変わるものかと。
不思議な感覚です。

この本を読んで思い出すのは、
一つは、攻殻機動隊。
AI、ロボティクス、情報技術の発展の末にある世界の在り方を、あの時代にあんな風に描けた士郎正宗氏の素晴らしさよ。
そしてその先に行き着くテーマが、人間とは何か?という普遍的倫理にまで及ぶという。
この本の4人の識者が今になって言ってるようなことを1989年に漫画にしちゃってるという。

もう一つは帝王学。
これはふと思っただけやけど、指導者が倫理的に正しくないことをどうやって諫めるのか。
本書では、トランプ氏もプーチン氏も安倍氏もけちょんけちょんに言われてるわけですが、じゃあなんで彼らは各国のリーダーであり続けていられるんだろうか。
帝王学は民主主義じゃないわけだけど、現代だって民主主義は機能してると言い難い。
皇帝には諌議大夫というストッパーがいたけど、現代の選挙はどうもその機能を果たしてない。帝王学の本には、大衆こそが史上最悪の暴君になるかもしれないと指摘があった。なんの、その通り。倫理なく責任を感じない大衆が参加する民主主義が機能するはずがない。


この本の締めくくりとしては、
我々民衆の一人一人が倫理的に正しく物事を判断するようになって、普遍的な正解を選択できるようになる必要がある。
それを、諦めずに声に出して行動していけば、資本主義も民主主義もアップデート、次元がシフトアップできるよ!がんばろうよ!
って感じなんですが、、、
言うは易し。なかなかに恐ろしいタイトルの本書ですが、人類がその恐ろしさが身に染みるのは本当に世界が終わるときだろうって気がする。
さて、自分は何をしようか。
諦めて、人間みんなが終焉を迎えるまで搾取する側になる努力をするべきか。こういう選択を考えるとき、選挙だけの民主主義の不毛さをいつも感じます。
みんなでやらなきゃいけないからねぇ。。。香港のデモも、タイムリー。

自分はどうするのか?ではなく、どうしたいか?か。

長くなりそうなので、前編後編に分けます。


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posted by koji at 18:17| 大阪 ☁| Comment(0) | フード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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